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2017.02.13

懐いた猫と、死んでしまったかもしれない猫

空からかき氷状のものが降ってきている。
ニューヨークに住み始めて10日が経った。
まだ10日しか経っていないとは思えないほど数々のトラブルや、幸運に見舞われて、私はいまブルックリンのウィリアムズバーグというエリアにあるアパートの一室でこの文章を書いている。
すぐそばのベッドには黒猫が寝ている。
私が遊んでやらないので不貞腐れてそっぽを向いているけど、こっちに関心があるのがありありと伝わってくる。
まだここに住んで3日しか経っていないのに、彼はなぜだか私のことが気に入ったみたいだ。
頭をこすりつけてきて、始終べったりくっついてくる。
夜もベッドで一緒に寝ている。
私がiPhoneをいじっていると嫉妬してiPhoneめがけて頭突きしてくる。
この直球の愛情表現にはちょっと戸惑ってしまう。
私はいままで猫と一緒に暮らしたことがないのだ。

このアパートに住むことができたのは幸運だった。
ニューヨークは家賃が異常に高くて、ほとんどの人がルームシェアをしている。
どんな人が住んでいるのか、家の周りはどんな環境なのか実際に見て決めたかったので、日本で決めずにこちらに来てからアパート探しをした。
ニューヨークで部屋探しをするのは地元の人にとっても一大事らしい。
なにしろたくさんの人がニューヨークに住みたがっていて、部屋の数には限りがある。
私はレジデンスの人から紹介されたアーティストやデザイナーなどクリエイティブ系の職業に携わっている人が、家やアトリエの賃貸情報をシェアするメーリングリストに登録して、ここを見つけた。
ルームメイト(家主さん)はバーバラという名前の40代くらいのおだやかなドイツ人女性だ。
彼女はアートブックの出版社を少人数で運営している編集者で、独立する前、ある美術の財団で長いこと働いていたらしい。
(プライバシーに関わるかもしれないので、一応名前は伏せておく。ミニマルアートのすばらしいコレクションがある財団だ。)
私はその財団のコレクションの大ファンだったので、それを知ったとき興奮した。
彼女はウォルター・デ・マリアと一緒に本を作ったときの話を少ししてくれた。
何を隠そうウォルター・デ・マリアは私がニューヨークに来たかった理由のひとつである。
マリアは若いころニューヨークで音楽やパフォーマンスなど、後期の作品とは少し違ったことをしていたのだ。
そしてニューヨークには、あるビルディングの一室に恒久設置されているマリアのユニークな作品がある。(早く行かないと!)

アパートはこじんまりしているけれど、家具はどれもセンスが良く、居心地が良い。
私のベッドルームにはクイーンサイズのベッドと机と椅子、洋服ダンス、本棚があり、そこにはまだ読んだことのないボラーニョの”Last Evenings on Earth”と”Amulet”があった。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」やフェルナンド・ペソアの詩集もある。
私はなんだかずっと前からここにいたみたいな気分になった。
窓からはマンハッタンの高層ビル群と、ときどきグラフィティが描かれているウィリアムズバーグのレンガ色の建物が見渡せる。
このアパートは6階建てで、この辺りでは一番背の高い建物なのだ。

バーバラは2匹の猫を飼っていて、出張に行くまえに私に長いインストラクションを手渡した。
そこには猫にとって毒になる食べ物(ときにはそれは食べ物ですらなかったりするのだが、彼らは食べちゃうのだ。例えばロウソクとか輪ゴムとか)や、エサをあげるタイミング、緊急事態が起こったらどうしたら良いかということが書かれてあった。
私はそれを注意深く読んだ。
もしバーバラの出張中、猫たちに何かが起こったら、バーバラはどうにかなってしまうだろう!
私は細心の注意を払うことにした。
前のルームメイトがチョコレートケーキを放置して、猫たちがそれを食べて死にそうになった話を聞かされたので、チョコレートに対する食欲が失われたくらいだ。

とはいえ、私は猫と暮らせて嬉しい。
オス猫の名前はGuy、メス猫の名前はMisterという。
なんでメスなのにMisterかというと、鼻の下に紳士のひげみたいな白い模様があるからだという。
Misterはシャイで、私がいると隠れてしまう。
私の部屋にいつも居座っているのはGuyである。
私はこのところ風邪のせいで体調が悪くて心細かったので、Guyがそばにいてくれてありがたかった。
新しいボーイフレンドができたような、でも腕枕をせがんだり、仕事していると「ねえねえ」と肩を叩いてくるあたり甘えん坊のガールフレンドのような、不思議な相棒である。

一昨日は大雪だった。
次の日の朝、窓を開けたら外は一面白かった。
周りの建物は低いので、屋上に雪が積もっているのが見える。
そこに鮮烈な赤色が飛び散っていた。
クリムソンレーキみたいな変な赤色である。
日常生活であんまり目にすることのない赤…。
赤は放射状に飛び散っていて、真ん中に黒っぽい塊があった。
何かが上から落ちて、屋上に激突し、血が飛び散っているようにも見えた。
しばらくそれを凝視したあと、黒っぽい塊は猫なんじゃないかという気がしてきた。
形やサイズ感がそんな感じなのである。
もしそうだとしたら、建物の位置関係からして、私たちが住んでいるこのアパートのどこかの部屋から落ちたとしか考えられない。
あやまって落ちた?
それとも誰かが故意に落とした?

私はバーバラにこのことを言いたかった。
でも彼女はこれから出張にでかけるところだし、猫好きの彼女にこんなシーンを見せるのは残酷だろう。
それに猫じゃないかもしれない。鳥かもしれないし、生き物ですらないのかもしれない。
私はしばらくその光景を見つめ、窓を閉めた。ベッドにはGuyがいる。

昼過ぎに買い物に出かけた。
帰ってくるとアパートの玄関で住人らしき2人組が管理人さんにすごい剣幕でまくし立てている。
「猫がどうのこうの…」とか「あの人はいい人だけど…」とかいうようなフレーズが聞こえてくる。
例のことについて言っているのだろうか。
それとも単に隣の家の猫がうるさいとクレームをつけているのだろうか。
私は横を通り抜けるために、「Hello」と声をかけた。
管理人さんは笑顔で「How are you?」と聞いてきたので、私は「Good. Thank you.」と言い、「How are you?」と聞き返そうと管理人さんの顔を見たら、彼はすでにこちらを見ておらず、2人組との話に戻っていた。

私はそのままその場を通り過ぎた。

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