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Archives : 2017.01

2017.01.17

ロベルト・ボラーニョ『第三帝国』

白水社から発売されているロベルト・ボラーニョの長編小説『第三帝国』の翻訳者である柳原孝敦さんが、訳者あとがきに『遠いデュエット』のことを書いてくださいました。去年の7月に発売された本なので、発売前に白水社さんから本を送っていただいてそのことを知りました。ボラーニョの本に、ボラーニョについてのラブレターのようなものである『遠いデュエット』のことが載るなんて…と、信じられない気持ちで、嬉しすぎて、うまく喜びを消化できず、あまり多くの人にはそのことを言えませんでした。人生でこんなに素敵なことが起こってしまうなんて、自分はもうすぐ死んじゃうんじゃないかと思ったくらいです。

2016年後半はなんだか鬱々としていて、自分の作品について考え込んでいたのですが、底まで行ったのか今はカラッとしました。

先日まで夫を訪ねてパリに行っていたのですが、夫はブラジル人の詩人コミュニティと仲良くなっていて、私も詩の朗読会に参加させてもらいました。そこではブラジル、チリ、フランス、イタリア、オランダ、アメリカ、セルビア、ポルトガル、そして日本語の詩の朗読が行われました。ボラーニョの小説が目の前で広がっている!と思いました。その中でも特に素晴らしかったのが、チリ出身の女性の詩人Vivianaの朗読でした。ボラーニョの小説では女性の詩人たちが印象的な役割を演じています。私はVivianaを見て、ボラーニョの登場人物みたいだと思って、とても強く美しいと思いました。『遠いデュエット』はスペインでのボラーニョをテーマにした作品ですが、いつかメキシコ、チリで続編を撮りたいです。そしてこれから行くニューヨークがその足がかりになることを祈っています。

ボラーニョはすばらしい作家です。『第三帝国』ぜひ買って読んでください!!!!

2017.01.17

お知らせ

お知らせが2つあります。

今月発売の美術手帖2月号にグザヴィエ・ドラン監督の新作『たかが世界の終わり』の紹介文を書きました。お手にとっていただけたら嬉しいです。
http://www.bijutsu.press/books/magazine/bt/

2月からポーラ美術振興財団在外研究員として1年間ニューヨークに滞在します。すでにお伝えしていた人には会うたびに「まだいるの?」と聞かれて肩身の狭い思いをしていましたが、ようやく出発です。今年は初心に返ってたくさん実験をしたいです。
モットーはSTAY PUNKです。

2017.01.11

2017年1月10日(火)21:12

2017年1月10日(火)21:12

パリで最後から2日目の夜。夫の誕生日。主役のはずの夫は今日だけの臨時のアルバイトのためにいない。私たちはこの2日間ノロウィルスにやられて、寝込んでいた。日曜日にSさんと奥さんのIさんと一緒にパリ郊外の美術館に行って、フィッシュリ&ヴァイスの素晴らしい「正しい方向」を観たあと、パンダくんと同じように次第に気持ち悪くなってきて、乗り換え駅のNationのゴミ箱に吐いた。昼に食べた美術館近くのマラソン大会の屋台で売っていたレバーのソーセージとフライドポテトの味がそのまました。ソーセージにあたったのか、映像の中でパンダくんとネズミくんが可愛がっていたブタを丸焼きにして食べたので、そのせいで気持ちが悪くなったんだと思った。なんとか家に帰り着く頃には寒気がひどくて、どんどん熱が高くなった。38度5分まで上がった。夫は湯たんぽを作ってくれたり、蒸しタオルを首に当ててくれたり看病してくれたけれど、夜には夫が唸りだした。とても苦しそうで、助けてあげたかったけど、私も立ちあがると吐きそうになってあまり何もしてあげられなかった。次の日に2人で病院に行くと、金曜日に食べた牡蠣が原因でノロウィルスにかかったらしいことがわかった。
夫はまだ頭が痛いと言って、鎮痛剤を飲んでアルバイトに行った。彼が家を出る前に、私は味噌のおかゆを作って、一緒に食べた。美味しかった。私は明後日の昼にパリを発つのだから、そろそろパッキングをしないといけないと思って、夫がいないうちにだいたいのパッキングをし、部屋の掃除をした。この2日のうちに部屋は荒れ放題だった。私たちはそこまで綺麗好きとは言えないけれど、また半年間お別れなのに、こんなに汚い部屋で締めくくりたくない。パリで過ごしたこの1ヶ月はかけがえがない。夫はこれは新婚旅行なのだから、と言った。本当にそうだ。私たちは仲良く、幸せだった。楽しく遊んだ。
パリでは毎日美術館を見て、ヘミングウェイの「移動祝祭日」と山田宏一の「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」を読み、映画を見た。映画はグザヴィエ・ドランの「たかが世界の終わり」「わたしはロランス」、ポール・トーマス・アンダーソンの「インヒアレント・ヴァイス」、溝口の「残菊物語」、タランティーノの「パルプ・フィクション」、ラース・フォン・トリアーの「イディオッツ」、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」を見た。
自分の作品については悩み、自信をなくしたけど、同時に美術館で作品を見ているとアイデアが次々に浮かんだ。自分は美術館がとても好きなんだということがあらためて分かった。作品が素晴しかろうとそうでもなかろうと、そこに人が作った何かしらがあり、それを眺めていると心が落ち着いた。

日本に帰ったらニューヨークに行く準備をする。ニューヨークに行く。私は何かを作る。

ここの窓から見えるセーヌ川はとても綺麗で、この先二度とこんな綺麗なセーヌを目の前に朝起きたり、夜音楽を聴きながらダンスしたりすることはできないだろう。それを思うととても寂しいけれど、この1ヶ月は人生からのプレゼントだったのだ。

私はまた生き返ったみたいに色々チャレンジしようと思う。

2017.01.11

2016年12月10日(土)22:20

2016年12月10日(土)22:20

私は今、カタール航空の飛行機に乗っている。ドーハで乗り継ぎをし、夫がいるパリに向かう。夫と会うのは3ヶ月ぶりだ。空港まで迎えに来て、と頼んだら、彼は空港まで迎えに来てくれるという。そんなの当たり前だと思うかもしれないけど、私はそのことに対して若干の驚きとともに感謝をしている。私は遠慮深いところがあるのだ。彼が飛行機の便名と、何時にドーハを出発するのか知りたいというので、暗号みたいなEチケットの写真をメールした。これを解読できるのだろうか。彼は全然問題ないという。何があるかわからないから情報は全部知っておいたほうがいいんだ、という。カタールで何かあったときのために、と。カタールで何かあるなんて縁起でもないこと言わないでよと言った。心配しなくてもきっと時間通りに着くでしょ、と答える。
2016年はもうすぐ終わる。去年の年末に2016年の抱負を考えただろうか? 私はたしか、「英語の上達」と「海外に行く」というのを抱負にしたような気がする。「海外に行く」なんて16才みたいな願望だけど、そうなのだ。 日本から出て、別の環境に身を置くことを去年の私はものすごく欲していたのだ。
今年はタイとアメリカに行き、これからフランスに行く。「海外に行く」という抱負は実現した。

来年の抱負について考えよう。私はなんとなく文章を書き始めたいと思った。それを思いついたのは新宿のデパートのブラックフォーマル売場(喪服を売っている場所)でバイトしている最中、カウンターで、ぼんやりと客のまばらな店内を眺めていたときだった。視界の右側にはお歳暮の催事コーナーがあって、視界の左側には上下黒のツーピースのいくつかのバリエーションが500着くらい並んでいた。「今、この世界はものすごいスピードで変化しています」というナレーションが風景に重ねられた。そのナレーションは少し唐突で、私は膨張していく宇宙について考えて、この声は宇宙がこの先どのように変化をしていくのか教えてくれるのだと思って、続きを待った。その声は、「でも、クリスマスのこの時期に、大切な人を思う気持ちはいつの時代も変わりません」と言った。私はがっかりした。クリスマスギフトの宣伝だったのである。それと同時に、なぜか視界が明るくなった。今まで私は眠っていて、このナレーションが目覚まし時計だったとでもいうように、私は急に「起きた」感じがした。
どのくらいの長さか正確には覚えていないけど、私はこの数年間、自分の内面生活を外に漏らさないように注意を払ってきたように思う。もちろん家族や仲の良い友達を除いて、だけれど、私はなるべく自分の感情や自分の表面を綺麗にツルツルに磨いてから提出していたような気がする。どこに提出するかって? 私の外側に広がる外部に、である。(それを世界、と呼んでしまっていいのか、判断がつかない)私は自分に生まれた感情やイメージをなるべく漏らさず貯め込んで、それを作品にぶちこみたいと思っていたのだ。作品に注ぎ込むためのそのような要素たちが、ブログやツイッターやフェイスブックに書くことで消え去ったり薄まったりすることを恐れていたのだ。それにそのような要素たちの輪郭を言語化することも避けていた。いろんな要素を脈絡なくひとつの鍋に放り込んで、謎のディップを作りたかったのだ。そのディップにアイディアの種を入れてしばらく置いておくと、発酵して全然違うものに変化してしまうような液体が欲しかったのだ。その中では感情、イメージ、匂い、手触りの記憶がぐちゃぐちゃに混ざっている。

でも、今、私はちょっと考えをあらためている。Hey, girls. 記憶はどんどん薄れていくよ。
私は32才になった。近ごろ、感覚が若い頃よりも若干鋭敏でない、言い方を変えればまろやかになっているのを感じる。ナイフが突き刺さったとしても、ナイフは昔ほど鋭利ではなくなった。切り傷というよりは打撲が増えた。母は祖母の物忘れがひどいとぼやき、当の母も最近人の名前が思い出せない、という。そして、実は私もなのだ。記憶力がどんどん退化している。(iphoneが原因じゃないかと密かに睨んでいる。iphoneがあるから、人との約束の時間を覚えなくなった。次にどの電車に乗るのかも覚えない。電話番号ももちろん覚えないし、なんなら人の名前を漢字でどうやって書くのかも覚えない!そのような細々した情報は外付けハードディスクであるiphoneに入れているのだ)そして私は思った。書き留めていないものは忘れる。そして忘れられたものというのは、この世に存在しないものなのだ。忘れるイコール消えるである。私がいくら今この瞬間、飛行機が寝静まり、薄青い照明に照らされる天井の質感やカーブが美しいと思ったとしても、それを書きとめなかったら、その感情はこの世から消える。謎のディップに入るという保証もない。
恐ろしいのは、10年後の私は、もう薄青い照明に照らされる天井が美しいなどと思わなくなるかもしれない、ということなのである。いや1年後ですら、わからない。私は照明が薄青いことにすら気づかなくなるかもしれない。天井がカーブしていることすら、表面が滑らかな質感であることすら全く気がつかなくなっているかもしれないのである。そこに天井がある、ということは気がつかない場合には気がつかないのである。いつのまにかそうなっていたとしたら、謎のディップも知らず知らず栄養価の低いものになっているだろう。作家として、それでは困るのである。
人の一生は思いのほか短く、作家としての生命も個人差はあるにせよ、そこまでは長くないのである。

私は文章を書くことにする。それはエッセイのようなメモのようなものだろう。というか、エッセイであり、メモだ。