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2012.02.10

NYに行ってきた 2

何となく書き終えてはみたものの、書き足りないような気がしたのでさらに書いてみる。
ここからはたぶんメモ的になると思う。

私はニューヨークに出発する前、ロベルト・ボラーニョの「野生の探偵たち」という長編を読んでいる途中だった。それはすごく面白くて、旅行に持っていきたかったけどハードカバーだったうえに分厚かったので断念した。
それはボラーニョの(たぶん)半自伝的小説で、初めの章は日記の形式になっている。
私はメキシコシティの迷宮に紛れ込んだような錯覚に陥ったまま、ニューヨークに旅立った。
そして何人かのラテンアメリカの人たちと話した。
そして日本に帰ってきて、「野生の探偵たち」の続きを読んでいる。まだ読み終わっていない。
この小説はさらに入り組んで錯綜してきて、空気が濃くなり、私は読みながら酔ったような気分になっている。そして少々吐きそうだ。
これはつまらないという意味じゃない。むしろその間逆だ。

1960年代から1970年代、今よりもっと芸術家たちは世界を行き来し、つながっていたのか? という疑問が沸く。
「野生の探偵たち」は若い詩人たちの話だ。
彼らは「はらわたリアリズム」という前衛的な詩の運動に参加している。舞台はメキシコシティからスペイン、フランス、イスラエル、、とどんどん広がっていく。
小説の中には有名な巨匠、今では忘れ去られた作家、スペイン語圏では有名なのかもしれないけど私には全くなじみのないたくさんの作家の名前が出てくる。ピカソやピカビアやブラック、デュシャンの名前もあった。
私は戦後の日本の芸術家たちを思いだした。特にニューヨークのDavid Zwirnerで個展が開かれていたのと、Dia:Beaconで作品を見たせいもあると思うけど、河原温のことを考えた。
河原温は日本でしばらく活動したあと、たしかメキシコに行ったのだったと思う。
前に図書館で昔の美術手帖を見直していた時に(たしか1950年代か60年代のいつか)、河原温の手記が載っていて、その中でメキシコの美術に自分に求めていた何かがあると河原温が書いていたような覚えがある。
そして今まったく突然思いだしたのは、Francis Alysがなぜかメキシコに移住しているということだ。
私はそういえばAlysがなぜメキシコに行ったのか不思議に思っていた。Alysはもともとベルギーに生まれて、イタリアに留学し、そのあとメキシコに行ったのだと記憶している。
メキシコに何があったのだろう。

おそらく共産主義の革命に関するなんらかが関係しているような気がするけど、
今のところは不勉強でよくわからないし、まったく関係ないような気もする。
(特にAlysは年代が違うので違うかも)
でもディエゴ・リベラとフリーダ・カーロが活躍していたのは1950年あたり(今調べたらたぶんその少し前)だ。メキシコに何があったのか。

この文章も錯綜してきたからそろそろやめたほうがいいかもしれない。
とにかく私は最近戦後の日本の芸術家たちのことをしばしば考える。あとナム・ジュン・パイクのことも。

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